三人どころじゃない吉三
観劇。
(キャストページ、役者さんのお顔にポインタ合わせると視線の向きが変わるという粋な仕掛けがしてあるんですが、窪寺さんずるくない? 窪寺さんずるくないですか? 閉じてるわけじゃなくて伏せ気味の視線かーらーの、ですよ。なんだこのイケオジ。何度もポインタ合わせてしまう。罠にかかった気分。ひろきすずき氏は普通に見る者の呼吸を奪いに来てますね。呼吸を奪うってどういうことか彼は分かってるんでしょうかね。息をしなかったら人は死ぬんですよ。死ぬんですけどね!(マウスポインタ何度も当てながら)山本匠馬さんがこっち向いた時、思いがけずあどけないお顔でときめいた。中村の龍くんは首肩二の腕の男らしさに目が奪われ、その上にあの整った顔が乗っていることに感動してしまう)
とにかく、今感じていることを吐き出しておかないと、後になったら細かいことは余韻だけ残して全部忘れる気がするから、支離滅裂だろうが前後が繋がってなかろうが流れが矛盾していようが今ぐるぐるしている気持ちを書く。
そして他の人たちの熱い感想を読みたい。早く! 読んで勝手に共感したり新たな発見したりしてじたばたしたい!
三人吉三に題材を取った少年社中版三人吉三ということで、登場人物も多いことだし、その登場人物たちの縁が複雑に絡み合い過ぎていると思って、さらっと人物相関の予習だけして観に行った。
(大阪二日間全三公演。観たいと思った時にチケットはなし。ご親切な方にチケットを譲って頂き、観劇することができました。本当にありがとうございました。このご縁に感謝しています。興奮した頭が冷めやらず、大千秋楽は当日券チャレンジして当選。あの立ち見チケットはお守りとして肌身離さず持っておきたい)
原作はどうしようもない悲劇。
名刀庚申丸と百両のお金が不思議な縁で繋がった様々な人々の間を行き来して、それに関わった人々が次々不幸になったり死んでいくんだから悲劇としか言いようがない。
事の発端となった盗人、お嬢、お坊、和尚という三人の吉三たちが互いに刺し違えて死ぬエンドだから、因果応報ものでもあるのかな。
個人的にはハッピーエンドが好きなので、これがどんな風にアレンジされるんだろうとどきどきしながら観に行ったわけです。
そもそも、三人「どころじゃない」のタイトルもインパクトあった。吉三が何人も出てくるなら、その時点で悲劇の匂いが薄れている。
そうしたら。
合縁奇縁因縁血縁良縁悪縁、あらゆるものが複雑に絡み合い、その先に待っているのは悲劇ばかりの悲惨な運命に、天下の盗人たちが誰も取りこぼさない幸せを掴み取るため、定められた運命にひたすら抗い続ける、それぞれの男気と疾走感に溢れた物語でした。
吉三も本当に三人どころじゃなかった。
テンポ良く進む話、会話、場面。彼らの生命力の表れみたいな極彩色の衣装。
初めて見た時には、なんつー派手な色の衣装だという感想だったんだけど、あの色彩に全然負けない登場人物たちを見ている内に、あの鮮やかな色が人の持つ生き力の強さみたいに思えてきた。それは美しいものだけではなくて、罪も欲も善も悪も愛も憎しみも、人の内に存在するぎらぎらしたものも含んでいる。だから、パステルカラーみたいなやわらかいだけの色じゃない、視覚に刺さるどぎつささえ感じる原色。
そうでありながら、あの色彩の鮮やかさ、明るさは、この話の向かう先を知らず示していてくれたように思えて、希望を持たずにはいられない色だった。
簡単なあらすじ。
ある晩、通りすがりの夜鷹から百両という大金を奪い、その百両を探し求めてやって来た手代から刀(庚申丸)を手に入れた盗人お嬢吉三(鈴木拡樹)は、同じ吉三の名を持つお坊吉三(堀池直毅)、和尚吉三(岩田有民)という同稼業の男たちと出会う。
これも縁と義兄弟の契りを交わした三人だったが、彼らの出会いのきっかけとなった百両の金と名刀庚申丸は、次から次へと人の手に渡り、関わる人々に悲運をもたらし、最後には皆が死に至る。
地獄へ落ちたお嬢吉三の前に、閻魔の使いだという男が現れる。
男は宝刀庚申丸(山本匠馬)。
「もう一度機会をやるから悲劇を止めろ」
お嬢吉三は、三人が出会った日から悲劇を食い止めるためにやりなおす。
しかし、どれほどやり直しても結末はバッドエンド。
何度もやり直し、疲れ切ったお嬢吉三の前に閻魔が現れる。
「もうやめましょう」と。
何を言っているんだと問い詰めるお嬢吉三に、閻魔は語る。
来る日も来る日も地獄に来る人々に、罪を雪ぐための罰を与える日々。
それは孤独で、とても苦しい。
そんな時、固い義兄弟の契りを交わした吉三たちを見つけた。
羨ましくて、仲間に入れて欲しくて、吉三たち皆がなんとか幸せになる手伝いをしたいと思った。この悲劇に関わる皆が吉三になったら、皆が仲間だ。楽しくて幸せだと思ったから、皆に吉三の名を与えてきた。
けれど、和尚に頼んでも、お坊に頼んでも、この悲劇に絡む別の誰かに託しても、どれほどリセットを繰り返しても結末はバッドエンド。
死に方、殺す相手、殺される相手が違うだけで、彼らと彼ら周辺を取り巻く人々に訪れる悲劇はなにひとつ変わらない。この運命は辛すぎる。
あなたの罪はもうとうに雪がれている。生まれ変わる手続きをしますと。
立ち去ろうとする閻魔をお嬢吉三は呼び止める。
「子供の頃、拐しにあってひとりで生きてきた俺と義兄弟になってくれたふたりと、この運命に巻き込まれて何度も邂逅してきた皆。その全員の幸せが、今の俺の望みだ。閻魔さんと、庚申丸、お前も含めてな。閻魔さん、あんたが俺たちのことを羨ましいと言ってくれて嬉しかったぜ」
(この辺のセリフはニュアンスで勝手に書いてます)
かくてお嬢吉三は、お坊吉三、和尚吉三と、誰一人とりこぼしのない、全き幸せを求めて繰り返す悲劇の中に戻っていく。
そして遂に、大団円が……。
ここからは、好きな人物や組み合わせや場面をそれぞれで思いつくままに書いてみる。
<お嬢吉三(鈴木拡樹)>
めちゃくちゃ男前だった。
女装姿が美しいとか綺麗とか、確かにそうなんだけど、それは紛れもない事実なんですが、後に残ったのは、あの人鬼のように男前だったなという思いでした。
この物語においては圧倒的にヒーロー。
でも彼が悪人でもあることに変わりはないので、ダークヒーロー枠なんだろうか。
登場場面では真っ白な振り袖を纏い、客席通路から現れた時、彼に気づいた人から順にさざ波みたいにはっと息を呑む音が広がってきた。なにかの演出みたいに、皆が目を見開いたり、口元抑えたり、はっとしたりして、見とれていた。
艶やかな口紅の色が妙に印象的で、猫の目みたいにゆるやかに弧を描いた目元がぱっと見儚げで、いかにも良家のお嬢様然としたなよやかな人物。甲高い声で、もうしもうしと心細げに、道に迷ってしまったと、筵にお金を並べている夜鷹に声を掛ける。
いかにもか弱そうなこの人物を、どうして警戒することができようか。
これが、夜鷹おとせの持った百両を奪ったその瞬間、一転低い男の声に変わり、表情も動きもがらりと変わる。ここは見物。
目がぎらぎらして、口元が相手を馬鹿にして皮肉気に片方だけ上がる。
悪い。この男、めっちゃ悪いよ……!(だけどかっこいい)
天下の盗人なんだから、当然お嬢吉三は悪人なんですよ。
おとせが持っていた百両、なんの躊躇もなく奪った挙句におとせは川に突き落として、よっしゃ! (夜鷹が川に流れたので)厄払い済み! なんか知らんが百両ゲット! 濡れ手で粟とはこのことよ! こいつぁ春から縁起がいいわえ! と高らかにのたまうわけです(とんでもない意訳です)。
直後、その百両を自分に渡せと言ってきたお坊吉三との殺陣!
白い振り袖の袖を振り回しまくっての激しい攻防。殺陣がまた早い早い。
舞っているみたいな殺陣だった。
そこに和尚吉三がやってきて、義兄弟の契りを結ぶわけですが、お嬢は家族というものに強烈な憧れがあるんだなあと作中の台詞で何度か強く感じる部分があった。
和尚が妹おとせとその夫となる十三を殺した時、「縁に繋がる義理の弟を、どうしてこんな無慈悲を」って悲痛な声で言う。
なんだかあの台詞とお嬢の心底愕然とした顔が心に残っていて、「縁」というものがお嬢にとってどれほど意味があるものなのかを勝手に感じていた。
幼い頃に誘拐されて、そこからひとりで生きるために盗んできて、だから彼は本当は悪人なんかじゃないとは言えないんだけど、お坊や和尚と義兄弟になれたことが本当に嬉しくて、手放せなくなったんだなあ。
後に閻魔に告げる「三人で一緒に生きていくんだ」という言葉にそれが詰まってる。
彼が最後まで諦めなかったのって、その執着とか欲が他の人よりもずっとずっと強かったからかもしれないな。
お坊には大切な妹が、和尚には父親も妹もいたわけで、お嬢だけがひとりで生きてきた。だからこそ、彼には閻魔の孤独も痛いほどに理解できて、閻魔ごと幸せにしたいと思ったんだろう。
現実をリセットして時間を巻き戻す場面。
男姿で登場するお嬢吉三。地味な色合いの着物だったけど、羽織の背中には龍が踊る。
くそ。かっこいいな。と無駄に悪態をつきたくなる。
女装姿の自分が、夜鷹のおとせから百両奪わなきゃ万事解決よ! と、粋な調子で言うお嬢吉三の頼もしさよ。庚申丸がなるほど! って素直に頷いてるのが可愛い。
キュルキュル言う巻き戻しの効果音で、舞台上で本当に逆送り再生やってくれたのがめちゃくちゃ面白かった。初めて見た日は一回目の巻き戻し後に拍手が起きたよ。
いや、お見事! って言いたくなるくらい上手に皆巻き戻ってたから。ひとりひとり動作が見たいわ。お嬢が本当に細かく演技の巻き戻しするから、おかしくておかしくて。
あの場面、元気がない時に何回も見たい。
酔っ払って十三朗を川に突き落とした遊女吉野ちゃん、お銚子から直接お酒飲んでたところも巻き戻し演技してたような。吉野の衣装、ひらひらしてて巻き戻しの時に袖がふわふわ舞ってて、あの忙しい最中に綺麗だなーと妙に心に残った。
ここの、バッドエンド→時間を戻せ!→バッドエンド→時間を戻せ!→バッドエンド…
の流れが本当にテンポ良くてコミカルで、悲劇が喜劇になってるの凄かった。
夜鷹おとせも花魁一重もバキュンて効果音つきでお嬢吉三に一目ぼれするところ。
さあ寝ようすぐ寝ようと言わんばかりにおとせが敷いた筵を、お嬢が慌てて丸め直すところ。
文里が去っていく姿(ここの文里の旦那の男前さが際立ってたわ。そりゃ旦那なら引くよね。惚れた女の幸せを一番に願うよね。かっこよすぎか。しかし旦那ならそうするだろうと納得せざるを得ないあの説得力よ)に呆然としつつ、一重と顔を見合わせてうん、てとりあえず笑顔で頷き合うところ。
割合短気で直情的で、海老名が庚申丸をどうしても諦めないと言ったら煽られるままにばっさり斬っちゃうところ。
お嬢と庚申丸がぜんまい仕掛けの人形みたいにぶるぶるして、回数こなすごとにぜーはーが強くなって、よろりとなってくるところ、控えめに言っても可愛い。
でも、回数重ねて、どうしてもバッドエンドにしかならなくて、疲れたなぁってなる。
庚申丸とふたりではらはら雪が降る中大の字で寝そべってる場面は、それまでのコミカルさから一転。
ここで庚申丸が話した「纏っている服の重みが罪の重さ。お前たちは罪が深いから、たくさんの服を纏ってるんだ。それに合わせて、雪が降る」という言葉が印象的。
雪は、ずっと降っている。
後になって、お嬢吉三があの真っ白な振袖を脱いで男姿になった時、あれはお嬢が運命を変えようと腹をくくった意思の表れと、罪がわずかにでも薄れたという暗示だったのかなとも思った。
もう数え切れないほどリセットを繰り返したある時、和尚が現れて「今はお前の番か」ととんでもないことを呟く。
「百回を越えたあたりで俺は諦めた。お坊も同じ。この運命はどうにもならねぇ。まあ、お前もいずれ分かる時がくる。好きなだけ試せ。さあ、俺を斬れ」
突然の告白に呆然となりながらも和尚を斬ったお嬢。
(ここの告白を後でつらつら考えるに怖いのは、私たちが初めて出会った彼らが、和尚かお坊、どちらかが「やり直している」時の可能性があるってこと)
この先、再び繰り返されるリセットにはお嬢の悲痛な叫びと、絶望と悲壮感しかない。
もう一回、もう一回、もう一度! もう一度だ!
舞台中央に座り込んで叫ぶお嬢の背後には閻魔が寄り添っている。
その彼らの周りで次々に人々が刺し違えていく。
この時のセピア色の照明。
雪がはらはら降って、絶望が降り積もって、もうどこにも救いなんかないような気持ちになる。
最後に残ったお嬢、お坊、和尚が斬り合い、倒れ伏す。
ここの場面、悲しくて辛くて痛いんだけど、演出がとても好き。
「もう、やめるか?」と、問うた庚申丸の声がやさしかったのは気のせいじゃなかったはず。それでもお嬢は首を縦に振らない。
閻魔から種明かしがあり、謝罪があり、もうお嬢吉三としての生を終わりにして、新しい人生を歩んでくださいと言われた後に、「何度だって、望みが叶うまでやり直してやるよ」と笑った顔。
お坊と和尚、三人で幸せになりたい。
この繰り返しの中で、他の皆も大事な奴らになった。
閻魔さん、庚申丸、お前も含めて皆で幸せにならなきゃ。
「私はいいんです」
すかさず言った閻魔に、
「じゃあかあしい!!」
と一喝したお嬢。
何故バキュンの効果音が入って閻魔が恋に落ちなかったのかが本当に疑問。客席はもう何度目かの恋に落ちたと思うけど。
庚申丸もって言うところがお嬢のやさしさというか、男気なのかな。
ずっと一緒に居て、愛着わいたんだろうなあ。
必ず皆で幸せになろうって、俺たちに任せておけって和尚とお坊、三人で言えて、多分お嬢はそれだけでも随分満たされたんじゃないかな。
最後の大団円。
気が狂うほどのリセットを繰り返したお嬢たちが掴み取った、幸せ。
舞台上の雪はやんで、何重にも着込んでいた服を脱いで、軽やかな姿になった皆の晴れやかできらきらしい笑顔。
お嬢は、きちんと本当の親の元へ帰って、役者になっているという設定で、最後は八百屋お七の役(たぶん)を演じて真っ赤な振袖姿なんですが、これまた艶やか。
花が咲いたみたいな笑顔という形容がありますが、本当に、作中大抵、悪い顔や苦悩の顔、怒りや絶望、穏やかな笑顔だった彼が、最後の最後で、うわっと花が咲いたみたいに満面の笑顔を見せるんですよ。
あの瞬間自分にわいた嬉しさってなんなんだろうね。
彼はもう幸せなんだと思って、突き上げるように嬉しかった。
オープニングで使われた、お嬢に義兄弟ができ、それどころか他にも吉三を名乗る皆が現れて歌えや踊れやのロックンロールの場面が、この締めに、エンディングにもう一回くる。
この時の楽しさは、お嬢たちのこれまでの苦難を知った上で、それを乗り越えての皆で歌えや踊れやだから、こっちの高揚感も半端ない。
軽くなった衣装で、満面の笑みで踊る皆が幸せそうで、本当によかったあああと多幸感に浸るエンディング。
その幸せ夢気分でふわーっとなって、皆が油断しているところにお嬢がね、ぶち込んでくるんですよ。
そうですよ。あれですよ。ウィンクですよ。
私の前の席のお嬢さん、お嬢がウィンクした瞬間、心臓に手を宛がってたよ。ほんま殺す気か。
ノーガードだった多くの人が、自分の心臓が鳴らす、どぐっ、ていう変な効果音で胸が痛かったはず。
なにかが刺さる音がした、くらいなら淡い恋が始まる風情でいいけど、どう考えても貫通する音だと思うから、恋が始まる前に目の前が真っ暗になって意識を失う系。
最後まで油断するなってことなんでしょうか。怖いなお嬢(ひろきすずき)。
くそーやっぱり最後までお嬢は男前だわ。
早くもう一回、あらゆる場面を観たい。
拡樹くんきっかけで観に行った舞台だったので、
美しい女装、たおやかな所作表情から、悪人面、情に厚い姿、無邪気に喜ぶ顔、男気溢れる姿、苦しげな表情から満開の笑顔まで、様々な姿が拝めて、一粒で十度美味しいみたいな舞台でした。
<お坊吉三(堀池直毅)>
妹思いのお兄ちゃん、てだけで私の中で自動的に好感度があがる。
かわいい妹、って口に出して言ってたからねこの人。
父親が庚申丸を奪われたためにお家が取り潰しにあい、家の再興を目的に生きている。
だが生きていくために、妹一重は花魁に、自分は盗人稼業。
義兄弟の契りを結んだことを、お嬢が随分嬉しそうに語っていたけれど、お坊も嬉しそうなんだよね。
馴染みの遊女吉野のところへ行って、祝いに高い酒頼んで浮かれてるの、ふーん、と思って。「こいつがこんなに嬉しいなんてな」てしみじみ言うの、本心からなんだなと。
和尚はわりと素直に嬉しいことは嬉しいって言うけど、お嬢とお坊は裏でこっそり言うんだね。
お坊とお嬢の会話で好きだったのは、お嬢がお坊に庚申丸を渡すところ。
「気がつかねえとはな。大切なもんってのはすぐ近くにあるんだな」
「そうだねえ」
(ここのお嬢の、そうだねえ、の言い方、すごくやさしい)
妹のため、家のため、生きるため。
悪人であるはずの彼らに同情したり、胸が痛んだりするのは、彼らが動く理由が、私たちにも十分理解できるから。
お坊は、どんな繰り返しを経て諦めたんだろうな。
<和尚吉三(岩田有民)>
なんていうか、この方も見た目勝ちというか。
カテコのご挨拶される姿を見るにつけ、心優しき熊、みたいなフレーズを思い浮かべてしまいました。
破戒僧ってことでいいの?
僧侶崩れ?
でも、伝吉の家で居座っている源次兵衛を祓えそうな雰囲気だったから、一応力はあるんだろうか。
とりあえず和尚吉三は衝撃の名乗りでまずはすべてを掻っ攫っていくスタイル。
「俺の名乗りを聞け」
どこぞの歌姫みたいな叫びから、フリースタイルラップ始まったよ!
ぽかんとしてたらわらわらグラサン姿の皆が集まって、会場は一気にライブ会場に。
お坊が戸惑っているのに対して、お嬢はそれなりにノリが良い。
少年社中、よく分かんないけどこのノリすげえええ。
と、少年社中さん初見の私の心に、なんだかとんでもないインパクトを残した名乗りラップ。
今書きながら思ったけど、お嬢、皆でわいわいしたのが思いの外楽しかったんかな…。
和尚吉三、なんかよく分かんないけど、こいつに逆らうとまずそうだという気分にさせてくれる名乗り。
彼の裁量で、義兄弟の契りを結ぶ三人。
お嬢が初めてのやり直しをした時、和尚が言う。
「俺たち生きるために悪いことをしてきた。でもお天道様が許してくれるなら、善人になって、日の下を堂々と歩きたい。お前らだってそうだろ」
この時、お坊とお嬢はその言葉を笑い飛ばす。
和尚は自分の思いを引っ込めるけど、唐突にも思えたあの告白。
和尚も「リセット」を何度もしていたことを考えたら、あの時、和尚がやり直しをしている最中だったのかもなと。
皆が幸せになる方法を、和尚も探していたのかもしれない。
答えはないんだけど、そんなことを思ってしまう。
まあ、お嬢とお坊から貰った100両を、迷惑かけた父親に渡しに行ったりしてるから、ただ純粋に、更正したいと考えていたのかもしれないけど。
和尚の見た百度のやり直しも、見てみたい気はする。
でもお嬢に、気が済むまでやってみろと告げた和尚は、もうなんの希望もそこに見出してはいなかったよな。心が疲れ切っていた。
和尚は声が好きです。
凄みのある悪漢の声、お嬢やお坊に向ける兄貴分としての声、親に向ける大人になった息子としての声。どれも太くて、心に響く。
しかし、心に一番きゅんと響いたのは、カテコ挨拶のひと言ひと言噛みしめるように大切に話される、誠実さに溢れた声とご様子でした。脳裏に浮かぶ、心優しき熊、の言葉。和尚とのギャップ!
義兄弟の兄貴分として、どうかお嬢とお坊と幸せに過ごして下さい。
<庚申丸(山本匠馬)>
庚申丸って、閻魔よりも格上なのかな。
閻魔が自分の望みを叶える際に、庚申丸様にお願いしたって言ってたけど。
宝刀だから?
庚申丸が付喪神とかで、神様扱いなのかなーなどと余計なことを考えていました。
登場場面、浮かれ踊るお嬢たちをずばずばと斬り捨てていく庚申丸は文句なくかっこよかった。無表情で、圧倒的。まさしく刀という感じ。
紫一色(裾濃とかでグラデーションはあった?)の、周りに比べると格段に地味色に見える衣装は無機物だからか、と。
庚申丸が新三人吉三のおっさんどもに、俺のだ俺のだって抱きつかれて、まさぐられまくるところが可哀想だけどとても好きです。
おっさんたち楽しみ過ぎだろう。
袷がゆるゆるになって、それを庚申丸が苛々しながらぐいっと直す仕草がとてもいい。
お嬢との絡みもよかった。最初は近寄りがたい無口な宝刀だったのが、お嬢と居ると段々くだけた態度になってくる。
庚申丸も影のヒーローだよね。閻魔の願いを聞いて、お嬢よりもずっと前から、皆が幸せになるべく動いてきた。強くて優しい刀。
どうして庚申丸は閻魔の願いを聞いたのか。長い長い時間をひとり過ごしていくのは、庚申丸も同じだからか。
「俺は諦めない」
彼が半永久的に続きそうな繰り返しに耐えられたのは、刀だったから?
それを思うと、複雑な気持ちだけど。
最後は、庚申丸も人になったということでいいのかな。彼も吉三だからね。
山本匠馬くんは男らしい顔の人だなあと、今回改めて思った次第。
<木屋文里(中村龍介)>
いやいやいやいや。
なんかもう笑うしかないくらい粋でいなせな若旦那で、とりあえず初見、ふはって変な笑い声出た。
帰ってから改めて粋の意味調べたよ。
気持ちや身なりのさっぱりとあかぬけしていて、しかも色気をもっていること。(広辞苑第五版より)
文里パーフェクト! 色気あったよね。目元の色気凄かったよね。(中村龍介くんは目元に迫力があるなと思います。凄みというか)
雰囲気が華やかで、きっぷがよくて、文字通りの色男。
花魁一重に何度も求婚する姿もさらりとしていて、相手が本当に困ることはしない。引き際も弁えている。
そりゃ吉野じゃなくても、一重の背中押したくなるわ。
「今夜は冷えるねぇ」
という誘いに、そっと手を添え奥へ誘うことで応えた一重の場面は、直接的ではない言葉に込められたやりとりにあてられた。かっこよすぎか。
吉三ネームも、それ以外には考えられないという名前でした。
お嬢が素直に、あいつなら事をうまく収めてくれるだろっていつの間にか信を置くくらいの男っぷり。
その彼が花魁一重を刺し殺す「やり直し」は、だからこそより衝撃的で、でも、そこに至るまでの物語はちょっと気になった。ごめん、旦那。辛いことを。
<十九歳コンビ>
預かった百両を落としてしまう木屋の手代、十三朗(井俣太良)と、その百両を拾う夜鷹おとせ(あづみれいか)。
この、実は生き別れの双子の兄妹でしたコンビがとても可愛かった。
年齢ネタばんばん入れてきて、おとせは十九なのに顔は婆ァとか言われたい放題だったけどいいのか。
十三朗の名乗りの際のきらーんポーズのあざとさや、満面の笑みが、見ている内に本当に甘ったれの若者に見えてくるのすごい。もともと可愛い系の顔立ちなのかな。表情勝ち?
しかし、畜生道という言葉のインパクト、意味を知らなくても、とにかくもう人として許されないんだという響きに満ち満ちている。
和尚に、義を守るため死んでくれと言われたふたりの、覚悟を決めた鋭い顔つきが印象的。
<新三人吉三>
おっさんトリオ。(しかし山川ありそさんは拡樹くんや中村の龍くんと同じ年だと知ってびっくりしました)
どの人も強烈に個性的だったんだけど、この方たちのアクの強さよ。
殿様から預かった宝刀庚申丸を奪われ、責任をとり腹を切った安森源次兵衛(和泉宗兵)。(お坊吉三と花魁一重の父親)
その刀を奪った盗人土左衛門伝吉(窪寺昭)。(和尚吉三とおとせの父親であり、十三郎の父親でもある。海老名が死んだあと幽霊になって家に住み着く)
その刀を奪うよう命じた海老名軍臓(山川ありそ)。源次兵衛に呪い殺される。
あんまりにも普通に幽霊が出てきて、人間界自由に楽しみ過ぎ。
伝吉さんは、奥さんの顔が見てみたいなーと思う人。
昔は悪だった、と何度か口にするということは、奥さんと出会って子供ができて更生したくちか。でも息子である和尚吉三は僧侶崩れで、相当やんちゃだったみたいだから、血は争えないんだろうか。娘であるおとせが夜鷹やってることを考えると、暮らし向きが楽とは言えないだろうしね。でもそこに悲壮感がないのが、伝吉らしい気がする。
この人たち、地獄に落ちて庚申丸にやり直しを求められた際に、あっさり断るんだよね。
源次兵衛さんの「俺悪くないよね?」が絶妙に面白いんだけど、(あと幽霊の源次兵衛さんは声がひょろひょろしててインパクト強すぎる。でも、幽霊源次兵衛→安森源次兵衛の切り替えはきりっとするんだよね。ギャップ大事)彼は、自分が責をとって切腹したことに後悔はしていないし、取り潰されたお家再興は息子であるお坊の役目、ってはっきり言い切る。娘花魁になってるのに、この辺の割り切りきっぱりしすぎ。
海老名は海老名で、絶対出世したいし、そのためには殿の大好きな庚申丸必須だから無理、とこれまた己の欲望に忠実一直線。
伝吉さんの、俺は所詮悪人だから今更善人面できねぇよ、って言い切るところ。
皆が皆、立場は違えど「己」を客観的に理解していて、自分の生き方や、それによって起こる運命は仕方がないって受け入れる姿勢なの、これはこれで筋が通ってるなあと。
ならば死ね、って斬っちゃう庚申丸も凄いんだけど、あの場面で彼らの芯が見えたのは良かったな。
だからこそ、お嬢の「幸せになる」執着の強さ、諦めの悪さも強調される気がする。
<花魁一重(杉山未央)/遊女吉野(内山智絵)>
この舞台、皆さんの衣装がきらびやかで鮮やかだったのはもう何度も書いたんですけど、女性陣の衣装の華やかさと愛らしさは言うに及ばず!
内山さんが衣装の写真をあげてくださって、よく分かったんですが、吉野の着物、格子柄のシースルー! 腰に巻かれたオレンジ色の大きなリボンや袖がひらひらして、柔らかそうで、愛らしさが自然と感じられる衣装。
(お嬢はそういう意味ではやっぱり、ふわふわとかひらひらとかじゃなくて、きり、とか凛、という言葉が合う衣装と雰囲気だったな)
吉野さんは酒飲みだけど(絡み酒っぽい)、気の良い女の子なんだろうな、後輩にこういう子がいてくれると楽しいだろうなと思わせてくれるタイプ。一重の恋を応援して、一重の危機をお兄さんに報告して、自分の気持ちにも正直で、割と自己中だけど、本当に大切なこととか、自分が譲れないものは間違えない感じの人。
一重は、相手の気持ちを慮って気を遣って、下手すると幸せを自ら遠くに追いやってしまいそうだけど、吉野は、そんなのばかばかしい、私もあなたも幸せになるわ、って言いそう。
時々空気読めなくてうるさいけど、いてくれると周りが明るくなる。可愛い女の人だったなあ。
花魁一重は、お坊吉三の妹。庚申丸を奪われ切腹した源次兵衛の娘。
武家の娘だったからかな。花魁で、色気を全面に押し出すこともできただろうけど、衣装の華やかさや艶にも拘わらず、品のある人だったな。
あの超絶男前、文里の求婚を幾度となく断り続ける理性。
そんな理性、早く庚申丸に斬って捨ててもらえ!
とは言えないんだけど、本当によく耐えたよね。
文里とのやりとりがいつもコミカルに見せかけたシリアスだったので、やり直しで、お嬢に一目惚れした時の一重が、テンション高めでポップでキュートな女の子になった時には笑った。これが一目惚れの威力…!
しかし、自分の気持ち伝えるために一気に小指落としたのは驚いた。
花魁なのに指詰めしたことで本気度を見せるということなのか、一重が存外激情家だという一面を見せているのか。でも、そんなことされて文里がおとなしく指だけ大事にしているはずもないので、一重が自分の踏み出せない気持ちを指ごと断ち切ったのかなと今思った。
文里の誘いにさらりと応えた一重は似合いの粋な女性だわ、と溜息出たけど、これが吉野だったら割と真っ直ぐとんちんかんな答え方して、それはそれで愛らしいことになるんじゃないかと妄想が働きました。
(お坊と吉野の、「お前は察しの悪い女だな」とか「ぶっさいくな顔して」という、硬派男子(お坊は硬派とはちょっと違う気がするけどジャストフィットな形容が今思いつかない。無骨というには所作は武家育ちで綺麗だしな)×ゆるふわ女子みたいな組み合わせ大好きです)
お坊と一重の絡みも見てみたかったけど、さすがに茶屋では会えないか。
お坊が吉野と馴染みになったのも、一重の様子を窺いに行くうちにということかもしれないな。
<黒子/閻魔(加藤良子)>
すべての鍵を握る人。黒子で黒幕。
異様に存在感のある黒子。顔出しもありながら、黒子本来の裏方の動きも存分にされている、働き者。
動きがいちいち可愛いくて、小動物みたい。
お嬢の周りをうろちょろして、三人吉三の間に入っていって自分も義兄弟の契りを交わしたいと勢いよく腕切ってみたり。
罪を与える日々が辛い、申し訳ない、苦しい。そして、ひとりは寂しい。
随分人間寄りな感情を持つ閻魔様だなと思って、閻魔様についてネットでざっくり検索かけたら、地蔵菩薩様と同一の存在だって書かれてた。地獄に落ちた人々の罪を代わりに受けて救済する存在。なんとなく、自分の中で腑に落ちた気がした。
この閻魔様は、罪や罰を代わりに引き受けはしないけれど、吉三たちが幸せになれるよう彼女の職務を越えて助けようとしていた。
人の気持ちを想像しそれに添う感情があるなら、なるほど、閻魔の「罰を与える」仕事は相当な精神的苦痛を伴うだろう。
彼女の見た目や動きも相まって、閻魔さまなんだけど、気安くて、可愛くて、可哀想で、だから同情心がわく。
吉三たちの周りを楽しそうに跳ねまわったり、悲劇に突き進む予感にうなだれたり、それでもなんとか必死でそれを回避しようとお嬢を導こうとしたり。
和尚やお坊もやり直しを繰り返していたことを知ったお嬢が、皆が周囲で殺しあう真ん中で、もう一回! と絶望的な声で叫ぶ場面。
黒子の姿をした閻魔は、怯えるそぶりを見せながらもお嬢の背中に寄り添って、すべてを見ている。
庚申丸に対しても思ったけれど、この繰り返しを望み、始めた閻魔も、すべてを見てきたんだなと。
幸せになって欲しいと願っても、吉三たちに託すことしかできなくて、手伝いたくても、見ていることしかできない。罰を与えることが辛いと口にして震えているのに、罰よりも恐ろしいことを吉三たちに課して、それでも、彼らが幸せになることを望んだこと。
確かにこの人は地獄の閻魔さまだなと思った。
お嬢も言ってるけど。望みに到達するまでの過程がえぐすぎるのに、それを分かっているはずなのに、手を伸ばさずにはいられなくて、実行してしまうところ。
地獄っていうのは恐ろしいところです。
でも、その過程がどれほど凄惨で悲惨で陰惨でも、閻魔はその先の光を求めたんだなあ。
お嬢に、繰り返しをやめさせようとした時、
「それじゃああんたが幸せになれねぇだろ」
そう返されて、閻魔はどれほど嬉しかったかな。
きつい言い方をすれば、始まりは彼女のエゴかもしれない。それでも、誰かの幸せを望んで必死だった彼女に、幸せが帰ってくる。
地獄の閻魔さまが、地獄に落ちた人々に幸せにしてもらう。
そんなお伽噺もあっていいんじゃないかな。
最後に、惜しむらくは。
惜しむらくは、ですが。
あれだけ入念に悲劇の繰り返しを見せて頂いたので、
大団円に至る過程も、少しずつ少しずつ皆の纏う衣装が薄くなっていく様子なんかで、さらっと見せて頂けたら、更に感慨深い思いになっただろうなと思います。
お嬢たちが絶対に幸せ掴んだる! と再度決起してから、大団円に至るまでがめくりの説明のみだったのは、個人的にはちょっと肩すかしだったので。
余韻というか、気持ちがめくりの速度に追いつかなかった。
最後、話の勢いと演者さんの笑顔で幸せ気分にはなれたんだけど、あと一場面か二場面!
あ、今回のやり直しはいい感じじゃない? って、感触掴んでいくお嬢見たかった。
その後に、最後の大団円きてたら、がつんと爽快感というかカタルシスがきたんじゃないかと。
でもそれやり始めると長くなるから、ばっさり切ったのかも知れないな。
さんざん楽しんだ一観客の我が儘です。
見終わった後に明るい気持ちで胸が満杯になって、さあ、明日からも頑張るぞ-! となれる舞台でした。
本当に、ありがとうございました。
教えて頂いて、ロミオとジュリエット、贋作・好色一代男のDVDも買いましたので、これを見るのも楽しみです。
大千秋楽カテコの最高に楽しかったことは、また元気が出たら追記しよう。
もしここまで読んで下さった方がいらっしゃいましたら、長いのに本当にありがとうございます(一緒に話がしたいです)。
※台詞や場面は多分に記憶に頼っているので、ぐるぐる考えて妄想するあまり、私が勝手に見たことにした部分や、聞いたつもりになっている台詞等があるかもしれません。
僕のリヴァ・る
DVD鑑賞。
鈴木拡樹くんの出ている作品が観たい!
と、欲望のままにぽちぽち円盤に手を出しているわけですが、お陰で今まで手を出してこなかった舞台を見ることができるのは幸せだなと思った作品。
東宝や四季なんかはちょいちょい見てるんですが、小劇場系と言うのでしょうか、こういった作品を観に行くことはほとんどなくて、知識もなくて、だから拡樹くんが出ていなければ、人に勧められない限り知らないままだったろうな。
360度観客に囲まれるセンターステージという形は、役者さんにとってはどんな気持ちがするものなんでしょう。
お客さんも、席の位置によって見える景色が違って役者さんの表情の見え方も変わって、同じ舞台を見ているけれど、違うものを見ているという不思議な空間になるんだろうな。
リヴァる。ライバル。兄弟をテーマにした、3作で綴るオムニバス作品。
兄弟という、恐らくは人生で一番最初に出会うであろうライバル。
血の繋がりによってどうしようもなく一番傍にいて、無条件に愛しかったり、それ故に憎しみが込み上げたり。
ある種の特別な関係である兄弟の形を、3作で描いていく。
兄弟関係っていうキーワードだけで個人的にはかなり期待が募るわけですが、3作が3作とも形の違う兄弟の在り方を教えてくれました。
1作目
オリジナル脚本 はじめてのおとうと
生まれて間もない弟(小林且弥)と、突然現れママを奪っていった存在に憤る兄(安西慎太郎)。
赤ちゃんの人形と子供の人形を使い、彼らの内なる声を舞台上に登場する小林さんと安西くんが演じる。
赤ちゃんの心の声で真っ先に思い出すのは映画ベイビートークなんですが、ワイルドな風貌の小林さんの口から「バブバブ」という言葉が飛び出すそのアンバランスさがおかしくて、そんなんずるいわと思いながら一気に引き込まれた。
(小林さん、ペダステのふくちゃんしか知らなかったので、誰この男臭いイケメン…と、ときめきました。全然印象が違う!(当然ですけど))
一方の兄。ベッドの中にいる弟をじっと見つめながら、こいつが来たせいでママが俺に興味を示さなくなった…こいつ一体なんなんだよ、と心の不満をぶちまける。
弟は弟で、さっきからお前なに馬鹿面で見てるんだよ。おむつ変えろよ。おむつ! ママどこ行ったんだよ。こんな変なやつとふたりきりとか、不用心にも程がある。お前誰だよ! と、ママでもパパでもばあばでもない謎の存在に苛立ちまくり。
兄も弟も心の声はやかましいほどなんだけど、現実世界ではもちろん意思疎通できていなくて、この会話の擦れ違いも面白い。
自分を守ったり甘やかしたりしない、体の大きさもママやパパに比べたら随分小さい、とても不可思議な存在。
子供の頃の自分の記憶はもうないけれど、確かにそんな風に思うかもしれないなあと。
人形の小道具も上手に使われていて、観てる内に段々、小林さんは口の達者な赤ちゃんだし、安西くんはちょっとだけ年上のまだまだ甘えたい盛りのお兄ちゃんなんだって思えてしまう。
ほんとムカつく存在だと思っていても、でも、弟のおむつは変えてやらなきゃいけないとは認識していて、自分でできないまでもおむつ持ってくるところとか、お兄ちゃんの複雑な心の動きが出ていて、見てて愛しい。
でも、いいことをしたら褒められるのか、と認識した途端、それを強烈に意識したりするのは子供らしいあざとさ。子供がえりも計算の内とか。
拡樹くんがこの子供たちの若いパパをやってて、これがまた見事にちゃらそう(笑
弟にはあんまり信用されていない系のパパ。ばあば(山下裕子)の存在で子供たちが安心した風になるのがパパの立ち位置をよく表してるよね。ミルクひとつまともに作れない。
しかし赤ちゃんをあやすときのあほっぽい動きはなんだ!
心底げんなりした様子の小林さんは何度も見たいんだけど、あのあほみたいな動きして満面の笑み浮かべてる拡樹くんも何度も見たい。というか、何度も見たよね。
馬鹿だし、どうやら今後自分の領分を侵してくる存在だと思いつつも、それでも相手のことを
「嫌いじゃない」
と、兄が言う。
「試合開始だな」
「フェアプレーとばかりはいかないかもしれない」
「でも、いい試合にしよう」
不敵に笑って(人形の)額をくっつけあう場面。
あの宣戦布告はいいね。
見ているこっちまでにやりとした気持ちになる。
好敵手、同士、相棒、仲間。
これからの長い道のりを共に歩むであろう彼らの関係に、どんな言葉を当てはめようか。
すべてひっくるめて、彼らは兄弟である。
2作目
三好十郎さんの「炎の人」を下敷きに、
フィンセント(鈴木拡樹)とその弟テオ(安西慎太郎)、彼らを見守る画家のゴーガン(小林且弥)の話が展開する。
このお話、青空文庫で全部読めるんだな。
1作目とは打って変わって重苦しい空気の漂う空間。
同じ場所なのに、同じ人たちが演じるのに、そこはもうさっきとは違う場所、違う人たちが動いている。舞台って面白いな、と端的に思わせてくれる瞬間。
絵を描くことしかできないフィンセント。ぼさぼさの頭。絵の具で汚れたよれよれの服。
そんな兄の才能を認め、生活の面倒をみる弟テオ。彼らを見守る絵具屋の女主人(山下裕子)。フィンセントの才能を知り、テオの相談に乗るゴーガン。
フィンセント見てると息苦しいような気持ちになった。
才能があるって、決して素敵で素晴らしいことばかりじゃない。
描くことに出会い、描くことしかできないフィンセントは、ある種呪われている。
描く絵が一枚も売れず、弟に迷惑をかけていることを心で悔みながらも、描くことをやめて仕事をしに出かけるという選択ができない。絵が、彼にとってはすべて。
自身を疫病神だと吐き捨てるように言いながら、それでもカンバスの前から離れられない。
繊細で、意固地で、プライドが高く、激情家で、情緒不安定で、孤独なフィンセント。
フィンセントにとって、生きることは描くことで、描けなくなったらそれはもう死なんだろう。だからどれほどそれが辛く苦しいことでも、人が空気を必要とするように、描き続けるしかない。その行き辛さがひしひしと伝わってきて、見てて苦しかった。
弟テオは兄であるフィンセントの才能を愛し、その夢を応援したいと、自身の生活を犠牲にしてまで手助けするけれど、次第にそんな生活に疲れて、兄の存在を持て余すようになってしまう。
相手が大事で、愛していることに嘘はなくても、気難しく繊細なフィンセントとの生活が精神的、肉体的な負担になることもまた事実。
ゴーガンに堪らず胸の内を吐露するテオを、誰も責めることなんかできない。
どっちも本当の気持ちだっていうことが理解できてしまうから。
「兄の中には二人の人間がいる。ひとりはおとなしく心の弱い子供。もうひとりは粗暴で自分勝手な怪物。両方がいつも戦っていて、つまり兄は自分自身の敵であるとも言える」
ゴーガンはフィンセントのことを「微塵も悪意のないエゴイスト」と評す。
拡樹くん演じるフィンセントは、扱いに困る繊細さと自己中心さ、そのどちらをも兼ね備えていた。
ゴーガンの勧めもあり、テオはフィンセントとの同居生活を解消。
その後フィンセントはアルルに向かい、ゴーガンと共同生活をすることに。
フィンセントの手紙によると最初は順調そうに見えたふたりの生活だったけれど、
最終的には価値観の相違が顕著になり、口論になって、フィンセントは感情のたかぶりのままに自身の耳を切り落とす。
ゴーガンの容赦のない指摘は、フィンセントの弱く愚かしい心を壊しかねない威力を持っている。
なにかを恐れ、逃れるようにパレットナイフを耳に当てたフィンセント。
「すまないテオ!」
叫びながら、描いた絵にナイフを突き立て、踏みしだくフィンセント。
理性を失い、一線を超えて狂気に至る鈴木拡樹の姿は幻の城でも見たけれど、あちらは狂気の様に苛烈さと鮮烈さがあり、美しさすら孕んでいた。
一方でフィンセントに漂っているのは、ひたすら、重苦しさ。苦しみの果てにこの現実から逃れようともがき、逃げられず、理性と狂気の間を行き来する、哀れみすら感じる姿。
命を削るように絵を描いて、描いて、描いて、そうしてある日、自ら命を絶ってしまう。
このお話を最初見た時には、フィンセントの生き辛さの方が目について、苦しいなあという思いでいっぱいで兄弟という関係性を考えて見ることがなかったんだけど、
今こうして感想を書いていて、改めて、テオという兄弟があったからこそ、フィンセントは絵を描くという生き方が与えられたんだなとしみじみ思ってしまった。
家族でも多分、フィンセントは持て余す存在だと思う。
けれど、そんな中でひとり、テオは不思議な因果で兄弟となったフィンセントのことを、扱いづらい人間だと誰よりも知りながら、最後まで愛想を尽かすことができなかった。
フィンセントが兄じゃなければテオにはまた全然別の人生があったかもしれないんだよな。
それが脳裏を掠めたこともあっただろう。
そしてテオという理解者がいなければ、フィンセントは絵の道をどこかで諦めていたかもしれない。
ああでも、フィンセントはそれでも描いたかな。彼は自分の運命に「出会って」しまった人だろうから。
なんかホント、兄弟って因果だな……。
あ、舞台でフィンセントが向かうカンバスは枠だけで向こう側が透けて見えるんだけど、その枠の中には見ている人の数だけの絵があるんだなぁとぼんやり考えた。
拡樹くんや安西くんの目には、そして小林さんの目には、そこにどんな絵が映っていたんだろう。
3作目
アルトゥール・シュニッツラーの短編小説「盲目のジェロニモとその兄」より。
3作の中で一番心に残ったお話。
山下さんが、弟が盲目になる場面を朗読するんだけど、
少し低めで、淡々と、落ち着いた聞きやすい声だったな。
自身のせいで失明した弟ジェロニモ(安西慎太郎)のために生涯を捧げる決意をした兄カルロ(小林且弥)。
ふたりは物乞いをしながら生きている。
けれどある日、通りすがりの人物のちょっとした悪意によってふたりの関係に亀裂が入る。
盲目の弟に近づいた謎の男(鈴木拡樹)がこう囁く。
「君の歌声が素晴らしかったから、20フラン金貨をお兄さんに渡したよ。騙されないようにね」と。
たったこれだけ。
けれど、投じられた小さな小石が、ゆらり波紋を広げるように、ジェロニモの心に宿った疑いの気持ちはどこまでも広がっていく。
存在しない20フラン金貨について問われ、正直に答える兄カルロは、弟の憤りの理由に気づかない。
幼い頃に自分がジェロニモを失明させてから、死にたくなるような罪悪感を押さえつけ、すべてを弟のために捧げて生きてきたカルロは、それらがすべて徒労だったのだと知る。
もういっそジェロニモを捨てていこうか。そうしてひとりの惨めさや、本当に人に騙されたことを知った時、ジェロニモは初めて自らの過ちに気づくだろう。
過ぎった考えを、しかしカルロは捨てる。
それでも、彼にはジェロニモしかなく、ジェロニモにもカルロしかいない。そのことをよく知っていたから。
現状を打開するため、もう一度元に戻るため、カルロは20フラン金貨を盗むことにする。
ところが、手渡された20フラン金貨に、ジェロニモは
「俺には分かってたんだ。20フラン金貨を兄さんが持ってたこと。兄貴はいつでも嘘をつく。もう数え切れないほど。この金貨だって、本当は隠しておくつもりだったんだろ。俺が疑いを見せたものだから、今回の20フランだけは拝ませてくれた。そういうことじゃないの」
そう、冷たく告げる。
「お前、俺のことずっと泥棒だと思ってたのか」
その発言に、遂に、打たれたように言葉を失うカルロ。
長い長い沈黙が辺りを包み込み、その沈黙に、カルロの受けた衝撃の大きさをひたひたと感じてしまう。
静けさが深ければ深いほど、カルロの内を荒れ狂う感情の嵐が激しいように思えて、彼があの静けさの中で、愛情も憎悪も悔しさも怒りもやるせなさも失望もなにもかもを抱えて、そうして最後に呑み込む姿に息を呑んでしまう。
この長い長い沈黙の中で、カルロの心はゆっくり死んでしまったんじゃないか。
光のない目で立ち上がり、ジェロニモの前に立ったカルロはこう告げる。
「腹減ったか」
このひと言を口にするまでにカルロが呑み込んだあらゆる感情を思ったら呆然としてしまうわ。
それでもカルロはジェロニモを捨てていかない。
その時、憲兵がカルロたちを呼び止める。
お前たちが泊まった宿屋の客の財布から20フラン金貨が消えた。ちょっと話を聞かせて欲しい、と。
カルロはその言葉に、小さく笑う。
笑いの発作は収まらず、自分を笑うように肩を揺らして。
そして突如、獣のように咆哮する。
叫びに込められたぐちゃぐちゃの感情が空気を震わせて、その鋭い刃は観客の心も貫いただろう。
絶望、やるせなさ、自嘲、怒り、どろどろの感情が、カルロの咆哮に詰まっていた。
心にひりひりくる叫び声。
「弟がいなければ俺は生きて来れなかったんです」
ジェロニモはその時初めて、カルロの言葉に嘘がなかったことを知ったはず。
ジェロニモの胸に巣くっていた兄カルロへの疑いは、彼の不安の表れでもあったんだろうと思う。盲目の自分を、兄がいつ捨てるかもしれない。兄を信じ切ることのできない不安。
どれほど相手を疑っても、憎んでも、絶望しても、けれど彼らは互いなしには生きていくことができない。
ジェロニモの手から20フラン金貨が転がり落ち、震える手が兄カルロの頬を包む。
言葉なく、けれど確かに心が触れ合っていることを感じるこの場面がなによりも心に残って、カルロの震える肩とジェロニモの小さく震える口元に、どれほどの感情が乗っていたか。観終わった後も余韻が抜けなかった。
小林さんの存在感は圧倒的だったな。3作品目のカルロの咆哮がとにかく圧巻。
静と動。押し込めた思いと、溢れ出す感情。そのふたつがとても自然に入ってきた。男臭くてかっこいい方だということも今回承知した。
自然さという意味では、拡樹くんは「舞台に立っている感じ」がするかも。
でも、いつの間にか彼の世界にぐっと引きこまれてしまう。いつか、すごい悪人やって欲しいな。狂人じゃなくて正気を保ったままの本当の悪人。見てみたい。
3作目の兄弟を引っ掻き回す人物、結構好き。
安西くんは初めて見た方だったんですけど、彼は小林さんとも拡樹くんともごく自然に隣に立っているなあと。誰と立っていても、その場に馴染んでいると言えばいいのか。つまり、上手ってことなんでしょうね。3作の中ではやっぱり最後のジェロニモが私の中で燦然と輝いている。
特典映像に座談会が入っていて、これがとってもよかった。
裏側を見せることを役者さんたちが良しとしているかどうかは分からないんだけど、
その人たちがなにを考え、なにを感じ、それをどう表現しようとしたのか、その人の内面を少しだけでも知りたいなと思ってしまうので、パンフレットも写真よりは本人コメントやインタビュー、対談多めが好きです。
拡樹くんと安西くんが昔から一度会ってみたくて、共演したかったんだけど、夢が叶った! とふたりできゃっきゃしてたのが本当に可愛かった。
役作りについてふたりが真剣に答えた後に小林さんが、「俺役作りしたことないからよく分からん」とざっくり発言したり。
あ、小林さんが拡樹くんのこと新人類と称していたの笑った。
袖での糖分摂取量が半端ない、って。
それから、本題とはまったく無関係に、突如行われた安西くんによる、「映画ギルバート・グレイプより、爪を噛むレオナルド・ディカプリオの物真似」が似ていて笑った。好きな映画の名前が突如出てきたのでそれが単純に嬉しかったり。
三者三様の作品に対する考え方が見て取れたり、三人の間に漂う空気が面白かったり、とても満足度の高い特典でした。
ありがとうございます!
眠れぬ夜のホンキートンクブルース 第二章~飛躍~
DVD鑑賞。
前回から一年後のホンキートンク。
ジョジョメン5、一部役者さんが変わっていて、ノンノが鳥越祐貴くん、麟太郎が碕理人くんでした。
ノンノがおたくであることが発覚する今回。鳥越くんちょこまかしてて忙しなくて、明るいおたく感がとても良い。
義宗は東北弁全開で、絶妙に面白いキャラになってた。相変わらずダンスはかっこいい。
同じく、女の子大好き道を貫くえろい俊平や目がきらきらの翔大好きな流星。
十周年を迎えるホンキートンク。
ホストたち全員、すっかりわきあいあいとした雰囲気になっていて、翔がのびのびとビジネスSやってるのをこっちも安心して見てられる。
つか、翔に肩抱かれて真正面からあの距離で見つめられて「惚れるよ」って言われて、真顔で見つめ合えるあの女の子すごい。演技し続けられるのすごい。
(幻の城で、星野さんが「綺麗すぎて(拡樹くんの)顔が見られない」って仰ってたの思い出したよ。それに対して、目を合わせない方がいいんだろうなーと思ったから微妙に逸らしてる、って答えた拡樹くんにも、うごおおああああひろきすずきいいいい、て気分になったわ。なんだその気遣い! イケメンの気遣いなの。イケメンあるあるなんですか)
前回から続けて見ると、翔の表情の多彩さにのっけから幸せな気分になるね。
相変わらず、隙あらば政秀をお父さん呼びしようとしてデレデレしてるの可愛すぎか。
政秀にはたかれて、「初めて叩かれた-!」ってジョジョメン5とガッツポーズして、やっふーい! てソファに腰おろしてにやにやしてるのとか最高だよ。
安心して過ごせる場所を見つけたんだなーと微笑ましい気持ちになるオープニング。
今回の題材はものすごくヘビーだったはずなんだけど、この舞台があくまでも「手に汗にぎる、笑いです」に則って、シリアスとコメディが両手繋いでくるくる回って(割と高速回転)踊っていて、容易にシリアスに浸らせてくれない。
一瞬、このノリでいいのかなと思う場面がないわけではないけど、ここはこれでいいんだ! と楽しんだもの勝ちの舞台だと思います。
きっと生で観てたら、衝撃に胸を痛めるよりも大笑いしてる。
今回のキーパーソンは売れっ子声優、有働倫也(椎名鯛造)。
翔や流星と共に、ひまわりの家で育った仲間なんだけど、この子が本当に一癖も二癖もある人物だった。
人好きのする容姿に人懐こい性格で、相手の懐にするっと入って行くタイプ。
椎名鯛造くんが本当にそんなイメージだわ。(最遊記の鯛造くん思うと本当にかわいい。お猿で拡樹くん大好きで甘えっこな印象しかない。拡樹くんもここの舞台裏だとふわふわ度が増してる気がする)
ホンキートンクの面々もなんの疑いもなく倫也を受け入れるんだけど、初対面の段階で既に、翔や流星に対する倫也の言葉や態度の端々に不穏なものが見え隠れする。
ノンノは「神」有働倫也に会えてからはネジが飛んだらしくて、テンションがおかしくなって笑える。前回までは元引きこもりという設定しか出て来なかったけど、引きこもってる間におたくになったんだろうか。
同じくお店にお客として来ていた、おたくのキャバ嬢ののかちゃんと、倫也が主演するアニメゾディアックについて大いに盛り上がる。
受けだの攻めだのBLだのいう単語がぽんぽん出てきて、それらの言葉がいつの間に市民権を得たんだろうかと考えたり、それとも舞台観に来る人間ならそっちの造詣深い人が多いだろ、ということなのか。悩むところ。
しかし、同士を見つけた時のノンノのテンションの上がり方には覚えがあって、胸になにかが刺さる思い。
倫也が喋るのを耳を澄ませてただうっとりと聞いているノンノ。鳥越くんのお目目がきらきらしい。
「俺はただ神の声を聞いていたいんだ」
分かるよ。分かるよその気持ち。
たぶん目の前でひろきすずきが喋ってくれていたらその内容がどんなものであろうともひたすら聞き続けていたいだろうから。ノンノと固く握手したい。
倫也は経営難で潰れそうな、自分たちが育った施設「ひまわりの家」を助けたいと翔や流星に助けを求め、インターネットテレビで生中継して支援を訴える。
テレビに出る! と、ホストたちが分かりやすくうきうきそわそわしてるのが可愛いよ。根っこの素直な人たちが集うホストクラブ、ホンキートンク。
ここの場面、舞台の中央に大きくスクリーンが出ていて、生中継の様子が映るようになっていて、ニコ生みたいに、見ている人のリアルタイムコメントが流れる仕様。
ものすごく今っぽいし、リアルだなあと。
こういうのありそう、って思わせてくれる演出。
政秀出たら「おじさんホストwww」て盛り上がって、太一出たら「さっきの人出して!!!」って速攻ブーイング。
翔や流星が出たら「かっこいいい!」て、テンションあがってるのとか。
場面が進むごとに次々流れるコメントをガン見したいけど、舞台も見たいから目が追いつかない。綺麗なコメントばっかりじゃないところもそれっぽい。
そして用意されていたサプライズ。
今回のお話のもうひとりのキーパーソン。
認知症を患った鶴見浜子(山田邦子)が登場し、彼女は翔の母親だと。
倫也は翔の母親を見つけてきて、番組内で感動の再会を果たさせた。
番組は大いに盛り上がり、ひまわりの家は多額の支援により危機を乗り越えたように見えた……。
今回はとにかく翔のお母さんへの想いが溢れていて、複雑な思いを抱えながら、どれだけ彼が母親を恋しく思っているのかが随所にちりばめられていて、もうね、できることなら翔のお母さんになってやりたいって何度思ったことか!!!
いや、本当になれるものならなりたかったですよ。
どうしてあんなひどい目に遭わされながら、それでも母親のことを恋しく、やさしい気持ちで思っていられるんだろうと不思議な気さえするほど、翔は突如現れた母親に一心に気持ちを注ぐ。
浜子を見つめる翔の目がきらきらして、同時に慈愛と憧憬に溢れていて、もうそれだけで胸が苦しい。誰かあの子を幸せにしてあげて。
お母さんを大切にする、やさしいやさしい、慈愛に満ちた、包み込むようなひろきすずきの笑顔がこれでもかというくらい見ることができます。自分の内に澱んだ黒いものが浄化されそうな笑顔だよ。つか、なにかしらは確実に浄化されたと思う。
けれど認知症の浜子をひとりで看る現実は厳しくて、翔はある日倒れてしまう。
この時、麟太郎がかっこよくてですね。
遅刻してきた翔が、お母さんに甘えているのかと政秀にからかわれても、にこにこ幸せそうにそーなんですよと受け入れる姿を見て、堪らず口を挟む。
自分のおじいちゃんも認知症だったから分かる。お母さんと会えて、ただふわふわ甘くて楽しい毎日じゃないんですよ、って。
前回も世界平和のためにホストになったとか珍妙なこと言って争い事は好まない麟太郎くんでしたが、誰かを助ける時に躊躇がない人ってかっこいいわ。
話を聞いて、ジョジョメン5たちが交代で浜子の面倒を見に行く。
取り巻きだのなんだのというより、彼らは本当に仲間なんだなと、この一年で深まったのであろう彼らの絆がさらっと垣間見えるシーン。
それぞれの個性がクローズアップされて、ここの浜子さんとジョジョメン5のやりとりはどれも好き。
俊平に対する「セクシャルハラスメント!」とか、ノンノがお尻叩かれて「なんのプレイなんだよ」とか、義宗が故郷を思い出して、自分の親と思って孝行すると決意するところとか。麟太郎はやっぱり慣れた風で、流星は翔によって間違った桃太郎の知識が植え付けられていたことを知る。小さな頃の翔が、茶目っ気のある少年だったんかなーとか、ちょっと微笑ましくなる。流星は素直だよね。
ホンキートンクの彼らは、誰もがやさしいところが素敵だなあと思う場面。
けれどそのやりとりの中で、流星は浜子が翔の母親には似ても似つかないことに気づいてしまう。
翔の表情を見ていたら、浜子さんは本当のお母さんじゃないんだろうなというのは分かるんだけど、それでも「お母さん」とやわらかい甘えた声で呼んで、自分ではない誰かを呼ぶ浜子に笑顔で答える翔の姿はいじましい。
自分の母親ではないと知りながら、それでも「お母さん」を大事にし続けた翔はなにを思っていたんだろうなあ。
自身の幼少期の話を他人事として浜子に語り、
「お母さんと一緒に暮らしたい」
と思わず呟く翔の顔は胸が痛すぎた。眠りにつく浜子を、赤ん坊を見守るような顔で見つめる翔。
そこにやって来る倫也。
自分もリアルお母さんごっこがしたいと無邪気な態でのたまって、留守を預かった倫也だが、翔の姿が消えると寝ている浜子を無理やり起こし、浜子をいたぶる。
この時の倫也が怖い。鯛造くん、裏のある役うまいな。
様子を見に戻って来て、止めに入った翔の負い目を容赦なく抉り、躊躇なく殴る蹴る。されるがままの翔。
しかし突如怒った浜子の叫び声に、倫也は頭を抱えて絶叫する。
同じ頃ネット上で、あの番組はお涙ちょうだいのヤラセだったのではないか、浜子と翔が似ていなさすぎる、倫也の売名行為ではと大バッシングが起き、一時は難を逃れたかに見えたひまわりの家への寄付金の返金騒動が起きる。
流星から事情を聞かされていた太一や政秀は、翔と浜子の間に血の繋がりがないことを確認。
翔や流星たちの家でもあるひまわりの家存続のため、再度、ホンキートンクで倫也の生番組を行うことを提案する。
そしてやって来た二度目の生番組。
映し出される画面には、倫也を罵倒する言葉がひっきりなしに流れる。
ここからはもう、ずっと笑ってた。
バッシングされまくってやさぐれ気味の倫也。自虐ネタ満載で番組スタート。
そして始まるゾディアックコスプレショー。
翔さんがゾディアックの主人公、無気力キャラワタルを熱演。
すごい。そこはかとなくダサイはずなのに、かっこよく見える翔。すごい。
もうなんでもありだなこの舞台。
ホンキートンクプレゼンツ、超世紀ゾディアック アナザーワールド!
ワタルとその仲間たちがゾディアックワールドを熱演。
「ちっこくぅ~♪ セーフ!」
の棒加減が癖になるwww
思わず草生やしてしまうくらいには癖になる。
めちゃ楽しいけど、この珍妙な茶番劇一体どこに向かう気だと、色んな意味でどきどきし始めたところで本題が始まる。
ワタルを捨てた母親役に浜子を当て嵌め、お母さんにも事情があったんだよね、とワタルが母親を許すお涙頂戴展開。
(この時の翔の棒演技が逆にうまくて笑える。劇中劇ってことだもんね。翔たち、ホストなのによくぞここまで頑張ったよ…。ノンノのナレーション上手)
この流れに倫也が激怒(そりゃそーだ)。
自分こそが浜子の本当の息子だとカミングアウト。
母親に虐待を受けていたこと。そんなに簡単に許せるはずもないこと。
昔、翔から受けた屈辱を忘れられず、翔に対しても憎しみの気持ちを募らせ、母親の虐待によって痛めた足も翔のせいだと嘘をついて負い目を与え続けた。
翔に母親を押しつけることで、両者に復讐しようとしたという倫也に、翔はそれなら自分が「お母さん」を貰うと手を挙げる。
嘘でも構わない。
倫也を煽るためと言いながら、あれは翔の本心だったんだろうな。
翔の挙手に、周囲も次々とならば自分もお母さん貰う! と手を挙げ始める。
「今こそホームヘルパーの資格を生かすとき!」の麟太郎が愛しい(笑
この畳みかけるような挙手の嵐。まさか、まさかとは思っていたけれど。
この怒濤の流れに倫也が思わず手を挙げた瞬間。
「どーぞどーぞ!」
やりおった……。
もうさ、この迷いの無さすごいよね。
各方面からいつ訴えられても仕方がない勢いで各所にネタが仕込まれてる。
この流れの中で、母親への愛憎入り交じった複雑な感情を持て余し、憤り、そして涙する倫也、というよりは鯛造くんに驚くんだよ。
鯛造くんこのわちゃわちゃの中で、きっちり倫也の苦しい内面保ち続けて、お母さんと仲直りする時ぼろぼろに泣いてるからね。
そして前回同様に、さあ大団円に向かっていきますよという素敵な感じのエンディングが始まるんです。
エンディングの中で、浜子が声を立てて笑う瞬間、倫也が笑う。
光と音楽溢れる中。
「お母さん、かえろ」
倫也が浜子に手を差し伸べる。
もうこれをハッピーエンドと言わずしてなんと言おう。
この、ホンキートンクを訪れた人は最後、何かしらの幸せを手にして帰るというお約束が私は大好きだ。
ホンキートンク、心底行きたい。癒されたい。
今回は泣くところまでは行かなかったなあ、と思ったラスト。
倫也と浜子を見送った翔が呟く。
「父さん。今日だけは少しだけ泣いていいですか」
泣いた。
子供みたいな顔して泣く翔見て泣いたよ。
ばかああああ。
誰か、早く翔のこと幸せにしてあげて。
政秀さんもうお父さんになったげてよ!!!
翔のお母さんどこにいるんだよおおお。
今回も翔に振り回されたわ。
しかし、これで次回への予習は完璧だ。
次のサブタイトルが~キセキ~。
奇跡なのか軌跡なのか。
とにかくね、私は翔が心底幸せになって、心の底からの笑顔を見せてくれることを切に願っています。
今度は、この世界を生観劇できるんだと今から楽しみで仕方ないわ。
そう言えば、DVDにはちょっとした特典映像がついているんですが、
ペダステの舞台裏とかを見慣れていたので、若手俳優の皆が、この面々の中でわりとおとなしくお行儀良い感じにしていたのが新鮮で、ふふっと笑ってしまった。
ペダステは本当に同年代ばっかりのノリで、ここは大人の方がたくさんいるから、ちょっと別の顔なんだなーと。
眠れぬ夜のホンキートンクブルース 第二章~復活~
DVD鑑賞。
これは生の舞台で観るのが何倍も楽しい世界だわ、と見始めてすぐに思った。
演者と客席との距離、反応で会場の空気がどんどん変わって、
その熱で倍々に楽しくなる舞台。
後からその存在を知ってDVDで観る際、悔しい思いをするのはこんな時だな。
さておき、DVDでの楽しみはなんと言っても、役者さんの顔が寄りで見られることです。会場の後方席ではとても見られない細かな表情や仕草を、何度でも、余すところなく見ることができること。
このお話はホストクラブが舞台なので、つまりあれです。
多種多様なイケメンたちが惜しげもなく投入されて、色んな顔を見せてくれるわけです。
太陽(野久保くん)、舞台役者さんされてたんだなあとびっくりした。後から出てくるジョジョメン5とは明らかに違う雰囲気。変な言い方だけど、落ち着いた大人感。
麟太郎(荒牧くん)、ついこの前の刀ステの印象があったから、幼い感じがするわーと思ったところからの投げキスで、ぐわっとなった。ぐわ。すみません。
ノンノ(服部くん)、最近武士ロック見返していたので、出てきた瞬間、てるりんー!(@ももいろゴタイロー)て、なった。相変わらずダンスキレキレね。
流星くん(河原田くん)は本当に綺麗なお顔だねぇ(近所のおばあちゃん)。
登場から良い子加減が滲み出ている。お客様への一礼が百貨店の店員さんみたいな腰の低さ。
義宗(青柳塁斗くん)、瞬平(増田裕生くん)は初見。テニスの王子様に出てたのか。
あのスペースでバック転する義宗すごい。身長もあって、ダンス上手で、見栄えがする人だな。瞬平、出てきた時からちゃらい雰囲気滲み出てた。
と言うか、既にここで、大人(太陽)と子供(翔・ジョジョメン5)の対比がはっきり出てるよね。単純に年齢的な若さもあるんだけど、温厚な執事と海でナンパしてる若い子たちくらい雰囲気に差がある。
そして暗転した舞台上、スポットライトを浴び、満を持して登場するホンキートンクナンバーワンホスト翔(ひろきすずき)。
真っ白なスーツ。外ハネの金髪。伏せ目がちの視線、天を指差す手をすっと口元に寄せて皆の視線を指先に集めるように流す、その際の流し目。
いきなりなんなの。
え、初っ端から観客の目潰しするとか、どういうことなの。
綺麗な顔って一種の凶器。プラス流し目って、お前は糸屋の娘か。目で殺すつもりか。
目が潰れるのは困るから少し遠目に見たいと思いつつ、やっぱり近くでも見たい。でもそうすると目が潰れるというジレンマ。
翔マジこええ、ナンバーワンホストすげええと仰け反りつつ鑑賞開始。
ものすごくざっくりしたあらすじ。
横浜にある、クラブホンキートンク。
「疲れた女性を癒す」がモットーだったはずの場所は、今やすっかり変わり果てていた。
ナンバー1ホストの翔は、35以上は女だとは思わないと公言する売上至上主義のドSホスト。ジョジョメン5と呼ばれる取り巻きらと共に、ホンキートンクで我が物顔に振る舞っている。にもかかわらず、前ナンバー1ホストの太陽の存在が気に食わずなにかと突っかかり、店内では派閥ができていた。
そんな中、クリーンな横浜を目指す市長・日高美都(山田邦子)は、横浜から風俗店を一掃しようと画策。ホンキートンクも危機的な状況にある、というところからスタート。
その情報を掴んだ、ホンキートンク伝説のオーナー3人の内のふたり、フリージャーナリストの太一(水木英昭)と、ブロードウェイ帰りの政秀(津田英佑)は、ホンキートンクの危機を救うべく奔走する。
存在感抜群だが腹に一物ありそうな、ライバル店のナンバー1ホスト仁(兼崎健太郎)なども登場し、それぞれの欲と思惑が交錯し、ぶつかり、和解しながら、最終的に、ホストたちはホンキートンクを守るために皆で動き出す。
ところでこのお話の主役って、誰だったんだろうな。
太陽のナレーションでストーリーは進んでいって、太陽の悲しい過去が分かり、最後には奇跡が起こるんだから、基本的には太陽が主役なのかな。
でも、人間的な成長を遂げるのは明らかに翔なので、こちらも主軸っぽい。
DVDを買う前に、ちょろちょろと他人様の感想を拝読して回っていたのですが、その中でとてもよく見た、
「前半はどSでゲスなクズホスト。後半はただのすずきひろき」
の意味がものすごくよく分かりました。
翔のゲスな感じ、本当に突き抜けてて、初っ端はただの顔がいいだけの嫌な男なんですよ。顔はいいけど(大事なところ)。金のためなら飴もムチも自在に使い分けて、自分の顔の価値も十二分に分かっていて、存分に利用する。冷たい顔も甘い顔もお手の物。完全に女の子を見下してる。
紛れもないナンバー1の称号を得ているのに、元ナンバー1の太陽の存在に苛々して当り散らして、でも、太陽が自分の言葉に素直に従うとそれにまた強烈にプライドが傷つけられて逆切れするというめちゃくちゃ面倒臭い男。
自分にないものを太陽が持っていて、そのせいでいつかナンバー1の座を奪い返されると、半ば以上確信してたんだろうな翔は。太陽の穏やかで落ち着いた空気が余裕ぶって見えて、勝手に馬鹿にされているような気持ちになって、それに苛々してまた当り散らす。ライバル店のナンバー1ホスト仁が現れた時、「品のある立ち振る舞いに、余裕のある態度」って副店長が言ったとき、めちゃくちゃ目つき鋭くなってたしね。
自分の求めているものを相手が求めているとは限らない。そういうことに気づくことができない翔は、つまり子供なんだよね。
太陽は太陽で、ホンキートンクにしがみつく理由があって。
けれど、翔はただのクズじゃないんだよーということを、ジョジョメン5の流星くんが一生懸命我々に教えてくれるわけです。
「俺、翔のためならどんなことだってします!」
本当に、彼は翔のために一生懸命なんだよ。
翔がナンバー1であり続けるための方法を、仁に真っ直ぐ聞きに行ったり、翔の横暴さで客の女の子が傷ついた時には、翔のこと嫌いにならないでね、と必死にフォローしようとする。
その行動が、後にトラブルの引き金にもなるんだけど、彼の中の翔を助けたいという思いに嘘が微塵もない。
太一にホンキートンクに招かれて市長・日高美都がやって来た時、もちろん翔は彼女が望むような接客はできない。
挙げ句に、美都の言葉に煽られ、客である彼女を罵倒してしまう。
(でもここで美都に「歌って」、と頼む翔の「お・ね・が・い」はA・ZA・TO・I 。あれを回避できる人がいるだろうか。ここ、山田邦子さんの本領発揮というか、凄まじい勢いで物真似が(笑 この辺、生で見たかったよ-。物真似と言えば、翔たちの全然似てない金八先生の物真似とか笑った。全編通して隙あらばネタ挟んでくるから、忙しい。キムタクの真似、後からじわる。好き。太陽(野久保君)の物真似メドレーも凄かった。こんな面があるなんて、全然知らなかったなあ! と新鮮な驚き)
その時、美都が市長だと言うことが分かり、ホンキートンクは絶体絶命。
そこに颯爽と現れたのは、政秀ーーーーーーー!!!!!
伝説の男帰ってきたあああ! 時が止まったあああ!(笑
めっちゃ良い声。
笑えるくらい良い声で、歌いながら登場。
真打ちは遅れて登場する。すげえ、政秀さん。
政秀のお陰でぎりぎりピンチを回避したホンキートンク。
お客様に二度とあんな態度をとるなと政秀に殴られた翔は、しかし「品がなくてお里が知れてる」と暴言を吐いた美都に謝罪を求めに行く。
「俺のお母さんに謝れ」と。
なにかしらわけありの過去があるんだろうなと思っていたら、流星と翔は児童養護施設で共に育ったという過去が明かされました。
その前に、翔に貢ぎ続けてきたのに、鬼畜接客受けてたせりなちゃんがホンキートンクで荒れる場面があるんだけど、私ここで泣いた…。
このお話って、女の子が本当に上手に黒子に徹していて、メインはホストたち、ていうのが徹底してるんだけど。ホンキートンクに癒されにきてた、キャバ嬢せりなちゃんの叫びは胸に迫った。一生懸命生活のために働いて、それを否定されて。そのせりなちゃんの叫びを受け止めて、どうか相手を許してあげてと懇願する太陽も切ないよな。
この混乱の最中に、義宗が仁から貰ったドラッグが美都の秘書に見つかり、義宗は翔からナンバー1の座を奪わんと、翔のドラッグだと嘘を吐く。更に、そこに翔に暴行されたと包帯ぐるぐる巻きの美都が乗り込んできて、翔は警察に連れて行かれてしまう。
あいつ一体なんだって市長に暴行なんか…と皆が頭を抱える中、流星が翔の過去を語り始める。
流星の両親はいないけれど、翔は両親のネグレクトにより児童養護施設に預けられた。おとなしくて、聞き分けも良くて、手の懸からない良い子だった翔。良い子にしていたら母親が迎えに来てくれると信じていた翔。それが叶わないと悟ってから、自暴自棄になった翔。喧嘩に明け暮れて、でも、誰かを苛めたりは決してしなかった翔。流星も翔に助けられたひとり。
35という女性の年齢にこだわるのは、自分を捨てた時の母親の年齢がそれだったから。
強烈に母親を意識して生きている翔くん。
女性を憎んで、食い物にするためにホストやってるわけじゃないのね。
クズな態度も、トラウマ起因で世の中に対して拗ねてるってことでいいのね。
翔の過去が知れたことで、太陽の翔への心の距離が急接近。
美都の怪我は狂言だということが警察で判明し、無事釈放された翔を抱き締め、「もういいんだ」と満面の笑み。
戸惑いまくった翔の「離さないと好きになるぞ」の威力。
そんな翔は、絶対に無実だからと警察に掛け合ってくれた政秀に、一気に態度が軟化。
誰かに守ってもらうこと、大事にしてもらうこと、に慣れていないんだなあと切なくなると同時に(流星は翔にとっては、まだ「自分が守る」枠なんだろうね)、そんなに素直で大丈夫なのかと心配になる勢いで、ころっと政秀に懐いた。
政秀さんが歌った曲、そういえばお母さんが好きだった…あなたもしかして…。
「あなた僕のお父さんじゃ……!」
って、嬉しそうに言うところからの、「お父さんじゃないからね!」→しょんぼりコンボが可愛すぎる。
ありえなくもない、って突っ込み入った後に、小さく口元で「お父さん…」て呟く笑顔が可愛すぎる。
一度心を許すとどこまでも素直になって、ふにゃっと笑う顔のやさしいこと。
鈴木拡樹という人のことを説明する時に、静の人というか、笑顔のやさしそうな人だなあということが真っ先に浮かぶわけですが、この人って、本当に滲み出るようにやわらかい笑い方する人だなと思う。
女性でも男性でも、ふわっと笑った顔が問答無用でやさしさとやわらかさに満ちてる人いるじゃないですか。そういう感じ。伝わって。
で、後半、政秀に心を許した翔が、ただの礼儀正しいわんこ系兄ちゃんに変貌してからの笑顔はこれですよ。
前半は冷笑、嘲笑、嗤笑のオンパレード。かっこいいけど、半径3メートルくらい離れた場所からそっと遠目に眺めたい感じだったんですが、
後半はもう、笑顔の可愛いわんこ系イケメンホストだった。手負いの獣が初めてやさしくしてくれる人の存在を知って、隙あらばその懐に飛び込もうと尻尾振ってた。
クズでゲスなホスト翔くんは、心に傷を負った寂しがり屋のマザコンお母さん思いの男の子だったわけです。
翔がホストになったのは、一番街ぶらぶら歩いていた時に、ひときわ大きく輝くホンキートンクの看板の真ん中に自分の顔を飾りたいって思ったから。
皆がホストになった理由を語り合い、腹を割って話し合ったことで、皆の距離もぐっと縮まり、太陽の過去も語られる。
太陽には両親がおらず、お姉ちゃんがいた。
大好きなお姉ちゃんはけれどソープ嬢だった。ソープ嬢である姉のことを許すことができず、家に帰ることができなかった。次に家に帰ると、お姉ちゃんの姿はなくてそれっきり。一番街で一番大きな看板のあるホンキートンクで働いていれば、いつかお姉ちゃんに会えるんじゃないか、って。そのためにホンキートンクにしがみついて働いていると。
この話聞いてるときの翔の表情。
「見つかるといいですね、お姉さん」
太陽を見つめる目元のやさしいこと。お母さんを求めている自分と重ねたんだろうなあ。
「昔の翔に戻ったみたい! 素直になった!」
満面の笑みで流星が言って、心底嬉しそうににこにこしてるの、本当に頭撫でてやりたい…!
照れ屋な翔ぼっちゃんが、からかわれるの苦手なんですからやめてください! て、ぎこちない顔するのもごちそうさまです。店長はがんばれ。がんばれ。きっとそんなに嫌われてないはず。
どうにか美都を懐柔しようと、ホストたちが一丸となったホンキートンクは最後の勝負へ。
ここからはもう怒濤の展開で、美都がどうしてここまで執拗に風俗店を一掃しようとしているのかが明かされ、とある奇跡が起きるわけです。
仁さんはクズのプロフェッショナルであることが明かされますが、この人、なんていうか華のある人だよなあ。登場した時から、妙に存在感があって、かっこよくて目で追っちゃう。
最後のどたばた感は、とにかく楽しんで笑って、ハッピーエンドへの準備はいいか、お前らーーーー!!!! て感じ。
すっかり素直になった翔が美都に頭を下げて言う。
「ホンキートンクの看板に飾られた俺の写真を見て、いつかお母さんが会いに来てくれるかも。俺、お母さんに会いたいです」
どんな切ない声と顔で言うんだよ!
……うん、ホンキートンク、残すしかないでしょ。でしょ!?
美都さん、折れましたよ。
そして始まるエンディング。
なんか怒濤の展開の中で頭の整理が追いつかなくても、このエンディングが素敵で、皆が歌うの聞いてる内になんだか楽しくて幸せなもの見たなあ、という気持ちになれる素敵なエンディング。
皆が笑顔できらきらしてる。
だから見てるこっちもきらきらした気持ちで笑顔で終わる。
ホンキートンクは女性を癒す場所だけれど、そこで働く彼らをも癒す場所だった。
そんな、幸せなお話。
あー楽しかった!